2011年8月18日木曜日

2011/8/7-8/9ナガサキ平和代表団 感想文 子

題名 わたしが見た長崎   (小6 東 笹乃波)

私は今回のナガサキ平和代表団で初めて長崎に行きました。
学校では少し、戦争の授業をしています。
本や教科書で読んでいて、「どんな風になったんだろう、今もまだ残っているのかな」と、いろいろと想像していました。
でも、今回、長崎の爆心地に行き、いろいろなお話を聞いて、町を歩いて見て回り、想像を超えるひどいものだったことを知りました。

一日目に、被爆者の証言で、小峰さんにお話を聞いたときに、ビックリしました。遊んでいたら、急に原爆がおとされて、その被害でまっすぐに歩くことができなくなったと聞き、ものすごくビックリしました。
そして二日目に、城山小学校に行きました。私はずっと、城山小学校に行きたいと思っていました。小さい頃、城山小学校にある『かよこ桜』の本を書いた山本先生から『かよこ桜』を紹介してもらったからです。城山小学校には、原爆により破壊焼失した校舎の一部も残っていました。その中は、原爆のおそろしさを今でも体感できるあとが残っていました。
そして、その後の虹のひろばで、『チンチン電車の詩』という劇を見ました。チンチン電車の車しょうさんのお話でした。和田さんが見た、和田さんにおきた、ものすごいざんこくでひどい現実でした。
三日目は、原爆写真展を見ていたら、深堀さんにお話を聞くことができました。深堀さんのお家は、爆心地のすぐそばの角でお米屋さんをしていました。原爆がおとされたときは、山の向こうで作業していて助かったそうです。伝える活動をするために、今でも近くに住んでいるそうです。
その後、66回目の平和祈念式典に参加しました。そこでは、戦争のことだけではなく、震災のこと、福島の原発事故のこと、放射能のことについても、たくさんの人が、みんなの平和について考えて祈っているのを知りました。

今回、ナガサキ平和代表団として長崎に行き、長崎におきた、ざんこくでひどい現実を決して忘れてはいけないと思いました。
原爆のおそろしさ、かんぜんには治らない長崎の人たちの体と心のきずあと…。
どれもこれも、みんな、どれだけ時がたっても忘れられないし、忘れてはいけない、大切なことです。
この、大切なことを、この目で見てこれてよかったと思います。


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記録として日記にしました

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